陸軍予備士官学校の沿革
明治16年の徴兵令改正で、納付金約三百円を納めると、三年の在営期間が一年に短縮される試みが始まった。 この制度を下敷きとし、下級将校の補充を目的として明治22年より始まったが、 一年志願兵制度である。この制度は、中等学校卒業以上の学歴を持ち、納付金約三百円を納めて 予備役少尉となることを志願する者を、一年間現役に服務させ、この間に将校教育を施し、終末試験の及第者を 軍曹として予備役に編入して除隊させ、第二次の勤務演習召集時にさらに教育を施し、予備役少尉に任官するという ものであった。在営期間が普通の兵隊の半分になり、さらに予備役少尉にもなれるが、納付金が高額な為富裕な家の子弟 しか享受できない特典であった。「三百円で将校の位を買う」等と世間の批判もかなりあったが、昭和8年まで続いた。
昭和2年の兵役法制定に際し、色々批判のある一年志願兵に代わる予備役将校補充制度として始まったのが、 幹部候補生制度である。この制度では
そこで昭和13年4月、上記の問題点を是正すべく陸軍補充令が改正された。この改正で在営期間が一年から一年十ヵ月に 延長され、幹部候補生の採用対象も補充兵、短期現役兵にまで拡大された。 詳しく見ていくと、まず幹部候補生に志願できるのは下記の二条件を充たすものであり、
| 1月 | 入営、二等兵 |
| 2月 | |
| 3月 | |
| 4月 | 幹部候補生指名、一等兵 |
| 5月 | |
| 6月 | 上等兵 |
| 7月 | 甲種幹部候補生指名 |
| 8月 | |
| 9月 | 伍長、予備士官学校、各学校幹候隊派遣 |
| 10月 | |
| 11月 | |
| 12月 | 軍曹 |
| 1月 | |
| 2月 | |
| 3月 | |
| 4月 | |
| 5月 | |
| 6月 | |
| 7月 | 卒業、見習士官(曹長) |
| 8月 | |
| 9月 | |
| 10月 | |
| 11月 | 満期除隊、予備役編入、任少尉、即日召集 |
陸軍予備士官学校というのは、甲幹に、より高度な将校教育を施す為に設立された学校である。 校長は教育総監に隷し、校務を総理した。 甲幹は夫々の兵科によって、予備士官学校或いは各実施学校内の幹部候補生隊に派遣され、概ね十一ヶ月の教育を受け、 見習士官(曹長)となり、その後満期除隊と同時に予備役少尉に任官、即日召集となる。
昭和13年3月25日、陸軍予備士官学校令が制定され、翌年8月、盛岡、豊橋、久留米に予備士官学校が設立された。 盛岡では歩兵科、豊橋では歩兵科と砲兵科、久留米では輜重兵科の将校教育が行われた。昭和15年8月には関東軍幹部候補生隊が 奉天陸軍予備士官学校に改編、翌年7月には久留米に移転して久留米第一陸軍予備士官学校となり、従来の久留米陸軍予備士官学校 は久留米第二陸軍予備士官学校と改称。また盛岡の学校は前橋に移転し、前橋陸軍予備士官学校となった。 其の結果、前橋、豊橋、久留米第一の各予備士官学校では歩兵及び砲兵の将校教育を行い、久留米第二では輜重兵の 教育を行うことと定められた。昭和18年には仙台、豊橋、熊本の教導学校が予備士官学校に改編され、其の結果 予備士官学校は、仙台、前橋、豊橋第一、豊橋第二、久留米第一、久留米第二の六校となったのである。
上記以外の騎兵、重砲兵、工兵、高射兵、機甲兵、迫撃兵、通信兵などの各兵科幹部候補生は、 夫々の実施学校内に設けられた幹部候補生隊に派遣された。