鏑木正隆少将
陸士32期 第五十五軍参謀長(終戦時)
昭和21年4月22日上海に於いて刑死。49歳。
第三十四軍参謀長時代の米軍パイロット処刑の責任を問われた。軍司令官佐野忠義中将は終戦前に病死。 憲兵分隊長服部中佐は自決。鏑木参謀長外4名が絞首刑。
手紙
二月二十八日上海米軍公判に於いて死刑の宣告を受く。本件は予が呂武集団参謀長として漢口在任中 起りし米軍俘虜に関する惨虐行為に関し責任を問はれたものにして、事件の真相は茲に詳記せざるも、予 個人としては俯仰天地に恥づる点なきを以て此点安心せられよ。何れ事件の詳細は他日之を詳知せる人より 聞く機会あるべし。 本事件により聖戦の真意義に汚点を印し又多数将兵が重き処刑を受くるに至りしは断腸の至りにして、 当時軍参謀長たりし予としては、此の惨虐行為を未然に予防し得ざりし不明に対し責任の重大なるを 痛感しあり。 軍人生活二十数年戦場に散るべかりし身を此の如き最後に終わらんとは残念至極なり。然し総べて 運命と諦めあり。(後略)
昭和二十一年二月二十八日認 於上海監獄 鏑木正隆
謹啓仕候 漢口米軍俘虜惨虐事件に就ては当時呂武集団参謀長たりし小官の不注意の為予期外の事態を 惹起し聖戦の意義に汚点を印し軍の名誉を損じ加ふるに多数の将兵に重刑者を出すに至りし段真に 申し訳なくて謹で御詫び申上候。殊に上官の命令の儘行動し重刑に処せられたる下士官兵の上を思へば 断腸の至りに御座候。 本日公判にて死刑の宣告を受くるに臨み謹て御詫び申上且つ従前の御懇情を深謝仕候。 謹言
昭和二十一年二月二十八日 鏑木正隆
岡部軍司令官閣下
絶筆
愈々近く現世に別れを告げむとするに方り、皆様に対し本事件に就て御迷惑をお掛けせし事を お詫びし又従来の御懇情を衷心より御礼申上候。 皆様の前途には幾多の苦難が横たはる事と存じ忍苦御敢闘の程祈り上げ候。小生は贖罪自決の 心算りにて最後の場に臨むべく、見苦しからぬ最後を遂げたく念願致居候。他の四名何れも 立派な覚悟の様お見受け小生感激致居候
四月十九日認 鏑木正隆
福本大佐殿
外御一同様
遺詠
公判に臨むにあたり心境を述ぶ
俎に のりし鯉なり 切らば切れ さけばさくとも 騒ぎやはする
死刑の宣告を受けて
み戦の 真の姿 汚したる しみ清めなん 我が血潮もて
み戦に 散るべかりしを 刑場の 露と消えゆく 運命かなしも
死刑執行の日を待ちつつ
今朝も亦 身の辺ととのへ 偲びけり 兜の内に 香たきし人
我が責めは 血もて償い 今日よりは あまかけりつつ 御国護らむ