石原莞爾

明22・1・18〜昭24・8・15

明35・9 仙幼入
38・9 中幼入
40・6 士候生・歩兵第32聯隊附
40・12 陸士入
42・5 陸士卒(21期)
42・12 任歩兵少尉・歩兵第65聯隊附
43・4〜45・4 春川駐屯
大2・2 任歩兵中尉
4・11 陸大入
7・11 陸大卒(30期恩賜)
8・4 任歩兵大尉・歩兵第65聯隊中隊長
8・7 教総附勤務
9・4 中支那派遣隊司附
9・4 国柱会会員
10・7 陸大教官
11・7 陸大附仰附(ドイツ出張)
11・9 ドイツ駐在
12・2 ベルリン到着
13・8 任歩兵少佐
14・10 陸大教官
昭3・8 任歩兵中佐
3・10・10 関東軍参謀(作戦主任)
7・8・8 任歩兵大佐・兵本附仰附
7・9 外務省事務嘱託
7・10 ジュネーブ会議随員
8・3 帰朝
8・8 歩兵第4聯隊長
10・8・1 参本作戦課長
11・6・19 参本戦争指導課長
12・1・7 参本第1部長心得
12・3・1 任少将・参本第1部長
12・9・27 関東軍参謀副長
13・8・18 兼駐満武官
13・8 帰国
13・12・5 舞鶴要塞司令官
14・8・1 任中将・留守第16師団司附仰附
14・8・30 第16師団長
16・3・31 予備役
16・3〜17・9 立命館大学教授兼国防科学研究所長
16・6 東亜聯盟協会顧問
熱心な法華経信徒。満洲事変の首謀者。自らの軍備計画実現のために宇垣内閣阻止に動き、 代わりに林銑十郎を擁立。これを傀儡化しようとしたが結局失敗。 支那事変勃発時、第一部長としてこれの不拡大につとめたが失敗し、 失意のうちに満洲に去った。しかし自らがつくりあげた満洲もまた彼の理想からは かけ離れた存在となっていた。悶々として楽しまないうちに上司と衝突し帰国(一説には無断で)。 その後、盟友板垣の尽力でなんとか師団長にはなったが、東條とはどうしても相容れることができず、 予備役となった。(この稿未定)

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