徳川好敏

明17・7・2〜昭38・4・17

明30・9東幼入
33・6同卒
35・5中幼卒
36・11陸士卒(15期)
37・2 任工兵少尉・近衛工兵大隊附
38・6任工兵中尉
38・12陸士生徒隊附
39・12砲工学校入
41・11砲工学校高等科卒・気球隊附
42・12任工兵大尉
43・3臨時軍用気球研究委員
43・5欧州差遣
43.10フランスより帰朝
43・11万国飛行免状289号を 受領
43・12・19代々木で初飛行
44・4所沢駐在
大3・8〜3・12出征・航空隊附
4・12航空大隊中隊長
7・6兵本検査官
7・7任工兵少佐
8・4航空部検査官
11・12航空学校教官
12・8任工兵中佐
13・2・4飛行第2大隊長
14・5・1任航空兵中佐・所沢飛校研究部長
15・1〜15・8フランス出張
15・7・28任航空兵大佐
昭2・7・26飛行第1聯隊長
3・11・10男爵
4・8・1所沢飛行学校教育部長
6・8・1任少将
6・10・3明野飛行学校長
9・8・1所沢飛行学校長
10.8・1任中将
11・8・1航空兵団長
12・7・15臨時航空兵団司令官
13・4航空兵団司令官
13・12・13参本附
14・5・30待命
14・8・31 予備役
19・3・27召集・航士校長
20・9召集解除
男爵功二級徳川好敏中将は伯爵徳川篤守の長男。東幼から陸士15期 の工兵科。明治43年、フランスへ派遣されアンリ・ファルマン3型を購入して帰国した。 大正3年、第一次世界大戦が始まると、操縦士官として青島攻略に参加した。 大正13年2月、飛行第二大隊長となり、翌年5月には所沢陸軍飛行学校研究部長、昭和2年7月には飛行第一聯隊長と なった。その後明野陸軍飛行学校長、所沢陸軍飛行学校長を歴任。

昭和11年8月、航空兵団が編制されると、 その兵団長に就任し、翌年支那事変が勃発すると、臨時航空兵団司令官として北支に出征した。 昭和13年12月、参本附となり、翌年待命となったが、昭和19年3月、再召集され、陸軍航空士官学校長 となった。

戻る


[PR]話題の新車を無料プレゼント中:必ず当る抽選会!今すぐ応募で簡単GET