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谷 寿夫

明15・12・23〜昭22・4・26

明35・6 士官候補生
36・11 陸士卒(15期)
37・2 任歩兵少尉・近衛歩兵第1聯隊附
37・3 出征
38・6 任歩兵中尉
38・12 凱旋
40・10 陸士生徒隊附
42・12 陸大入
大1・9 任歩兵大尉
1・11 陸大卒(24期恩賜)
1・12 参本附勤務
2・3 参本部員
2・3 フィリピン出張
2・7 帰国
4・4 イギリス大使館附武官補佐官
6・8 参本附
6・8 イギリス軍従軍
7・6 任歩兵少佐
7・12 帰朝
8・3 参本部員
8・4 兼陸大教官
9・10・12 インド駐剳武官
11・4 任歩兵中佐
11・11・24 歩兵第6聯隊附
13・2・4 陸大教官
13・3 兼参本部員
14・3・18 任歩兵大佐
昭2・3・5 歩兵第61聯隊長
3・5・10 留守第3師団参謀長
4・8・1 参本外国戦史課長
4・8・29 参本演習課長
5・3・6 参本附(国連陸海空軍問題常設委員)
5・8・1 任少将・参本附仰付(国連帝國陸軍兼空軍代)表
7・7・5 参本附
7・8・8 軍事調査委員長
8・8・1 近衛歩兵第2旅団長
9・8・1 任中将・東京湾要塞司令官
10・6・20 第9師団留守司令官
10・12・2 第6師団長
12・12・28 中部防衛司令官
14・8・1 待命
14・9・2 予備役入
20・8・12 第59軍司令官兼中国軍管区司令官
22・4・26 法務死
谷寿夫中将は悲劇の人である。歩兵科、陸士15期、陸大は24期の恩賜。 英国大使館附武官として第一次世界大戦に従軍。その後歩兵第六十一連隊長、第三師団参謀長、参本戦史課長、 演習課長を歴任。国際連盟陸空軍代表として欧州に出張。帰国後、軍事調査委員長、近衛歩兵第二旅団長、 東京湾要塞司令官、第九師団留守司令官を経て、運命の熊本第六師団長に親補された。

柳川平助中将率いる第十軍隷下で、 第二次上海事変に出征。第十軍の杭州湾敵前上陸で、敵軍は総崩れとなる。ここで我軍はとどまることなく敵を 追撃、首都の南京を陥落させた。このとき苛烈な掃討戦が行われたが、谷は一兵も南京城内に入れていない。 その後凱旋した将軍は、中部防衛司令官に栄転。昭和14年9月に予備となった。

しかし、終戦間際の8月12日、 前任の藤井洋治中将が原爆で爆死した為、召集され第五十九軍司令官兼中国軍管区司令官となった。 その後、南京事件の責任者として、南京でいい加減な裁判にかけられ、雨花台の露と消えた。 南京攻略にかかわった人なら誰でも良かったのであろう。中将は偶々終戦まで生き残った為に、この悲劇に遭った。 名著の誉れ高い「機密日露戦史」は、彼が陸大兵学教官時代に専科学生向けに作ったテキストである。

遺言

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