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二宮治重

明12・2・1〜昭20・2・17

明31・12士候生
33・11陸士卒(12期)
34・6任歩兵少尉・歩兵第20聯隊附
36・11任歩兵中尉
37・5歩兵第20聯隊中隊長
38・6任歩兵大尉
43・11陸大卒(22期恩賜)
43・12参本部員
大1・9イギリス駐在
2・8任歩兵少佐
4・11教総附(臨時軍事調査委員)
6・8任歩兵中佐・陸相秘書官
7・7軍務局課員
7・12欧州出張(講和会議随員)
8・4・15陸大教官
8・9兼参本部員
10・6・3任歩兵大佐・参本編制動員課長
12・3・17近衛歩兵第3聯隊長
14・5・1任少将・イギリス大使館附武官
昭2・7・26歩兵第2旅団長
3・8・10参本附
3・12・21参本第2部長
4・8・1参本総務部長
5・8・1任中将
5・12・22参謀次長
7・1・9第5師団長
9・3・24予備役
11・9・9鮮満拓殖会社総裁
15・6満洲拓殖公社総裁
19・7・22文相
20・2・17死去
二宮治重中将は岡山中学卒業、陸士12期、陸大22期恩賜の歩兵科。 大尉から少佐に進級するときには700人を追い越した、俊秀ぞろいの12期の中でも、常にトップを切っていた人物である。 参本編制動員課長、近衛歩兵第三連隊長、駐英武官、歩兵第二旅団長、参本第二部長、総務部長とエリート街道を 驀進。杉山元と並び同期のトップで中将に昇進し、参謀次長となった。 このとき三月事件が起き、更に満州事変が続き、若槻内閣は倒れた。 彼は、同郷の先輩宇垣一成から厚い信頼を受けていたが、 かえってそのことが仇になり、荒木貞夫陸相の登場と共に中央を追われ 第五師団長となり、昭和9年、大将になることなく待命となってしまった。その後、昭和11年からは満拓総裁を務めていた。

彼は同期の畑、杉山、小磯と仲が良く、特に小磯国昭とは盟友と呼べる間柄であった。 昭和19年、組閣の大命を拝した朝鮮総督の小磯は、偶々朝鮮にいた二宮に対し、書記官長として入閣を要請した。 二宮は即要請を引き受け、小磯と同じ飛行機で東京に帰ってきたが、その後諸事情があって、 書記官長ではなく文部大臣として入閣。「小磯内閣は実質二宮内閣」といわれるぐらい頑張ったが、病を得て辞職。 昭和20年2月、逝去した。

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