
児島惣次郎

明2・12・8〜大11・10・18
| 明23・7 | 陸士卒 |
| 24・3 | 任歩兵少尉・歩兵第20聯隊付 |
| 26・11 | 陸大入 |
| 27・6 | 任歩兵中尉 |
| 27・7 | 陸大中退 |
| 28・1 | 歩兵第8旅団副官 |
| 29・2 | 陸大復校 |
| 30・8 | 任歩兵大尉 |
| 31・12 | 陸大卒 |
| 32・12 | 参本出仕 |
| 33・3 | 参本部員 |
| 34・1 | ドイツ駐在 |
| 35・11 | 任歩兵少佐 |
| 37・2 | ドイツ公使館付武官補佐官 |
| 38・7 | 任歩兵中佐 |
| 38・12 | 参本部員 |
| 39・5 | 兼山縣元帥付副官 |
| 41・12 | 任歩兵大佐・参本編制動員課長 |
| 大2・2 | 近衛歩兵第三聯隊長 |
| 3・8 | 任少将・歩兵第30旅団長 |
| 5・3 | 歩兵学校長 |
| 6・8 | 参本第4部長 |
| 7・7 | 任中将・朝鮮憲兵隊司令官 |
| 7・7 | 兼朝鮮総督府警務総長 |
| 8・8 | 免兼 |
| 9・7 | サガレン州派遣軍司令官 |
| 10・6 | 教総本部長 |
| 11・5 | 陸軍次官 |
| 11・10 | 死去 |
児島惣次郎中将は長野六三郎の三男で陸軍少尉児島滋胤の養嗣子。長男義徳は陸軍大佐(陸士32期)。 陸幼を経て士官候補生第1期を歩兵科の優等で卒業、陸大は12期首席卒業の秀才。
常に同期のトップで昇進し、日露戦争中はドイツ武官補佐官として大井菊太郎(成元)武官の下で、 情報の蒐集に活躍し、大佐に進級して参本編制動員課長たること四年余、この間における施策については特筆すべきものが あったと伝えられる。参本第四部長時代には、従来ほとんど未整理であった図書の整理に率先して努力した。 朝鮮憲兵隊司令官時代には万歳事件を処理。大正9年7月、北樺太を占領するための サガレン州派遣軍が編成され、司令官となり出征。復員後は教総本部長に就任した。
大正11年5月、山梨半造大臣の下で陸軍次官に就任。将来を嘱望され、 犬養毅からも高く評価されていた人物であるが、次官在職中に急死。 同郷同期の宇垣を哀しませた。ちなみに宮崎繁三郎中将は、彼の女婿である。「親友児島は働く許りで十二分の酬を得るに至らずして逝去したり、哀悼に堪えぬ。 児島君の葬儀は盛大なりし。彼の死後を飾るに何等不足なかりし。之に列する在郷将校の情は誠に諒とすべく、 義もたしかに弁えて居るは風教上の祥事である」(宇垣一成日記)